三浦雅士の「漱石 母に愛されなかった子」は、なんとか昨夜読了(感想は後日書きます)。

続けて、保坂正康「東京が震えた日」を読書中。2.26事件と東京大空襲を取り上げている。

先の戦争に関する本は、論じる人によって「事実」すらが違ってくる。保坂正康は、「昭和陸軍の研究」を読んで以来、信頼している書き手です。

先日ふと思ったのだが、1955年生まれの私にとって、1904年の日露戦争は生まれる50年前の出来事で、まるで実感がない。
一方、1945年の敗戦から現在まで、既に60年以上が経過している。てことは、2000年以降に生まれた人にとって第二次世界大戦は、私にとっての日露戦争みたいに、はるか遠くの出来事ってことなのだろうか。

だとすれば、戦争がそれを体験した世代にとってどれほど切実なことがらであっても、その言葉はこれからの世代に果たしてどこまでうまく伝わるのだろうか。

最近私の周囲でも、「あの戦争」をマニアックに、なにか関が原の戦いでも論じるように話す若者が現れ出したが、ある意味当然のことと言える。

こういうことを勘定に入れて「平和」を考えなければ、世の中危うくなるばかりじゃないかなあ、などと思ったのであります。
「海を見ていたジョニー」を読み終え、さて今日から再び三浦雅士の漱石論に戻ろうと思っていたら、アマゾンの古本で注文していた、「内部の人間の犯罪」(秋山駿 講談社文庫)が到着。

実はチャット読書会で、鈴木道彦「越境の時」(集英社新書)を読んでいるのだが、小松川事件や金嬉老事件へのアプローチが過剰なまでに倫理的で、ちょっと食傷気味。

「小松川事件」とくれば、これはもう秋山駿の出番なので、本を取り寄せた次第。ワタクシには、誠実そうな鈴木道彦より性格の悪そうな秋山駿のほうが似合っている、と思うぞ。まあ、隣に住むのなら、鈴木さんの方を選びますけどね。ゴミ出しのルールとか守りそうだし、鈴木さん。

三浦雅士は、いつになったら読み終えられるのだろう。
そろそろ三浦雅士の漱石論を読みきってしまおうと思っていたところ、マチの図書館から「海を見ていたジョニーが入りましたよ」との連絡をもらった。

1週間ほど前、発作的にこの小説が読みたくなって図書館に駆け込んだが蔵書しておらず、他の図書館から「お取り寄せ」になっていた物件である。

いまさらなんで五木寛之の、それもベトナム戦争とジャズに材をとった昭和40年代の小説かと、我ながらフシギだが、毎日クルマでジャズのCDをかけ流しているので、無意識が欲望したのでありましょう。

短いので、すぐに読めそうです。

あ、ところで漆黒さん、リンクできました。どうもです。

情況への発言3

2008年5月13日 読書
三浦雅士の漱石論を読んでいるところに、アマゾンで頼んでいた吉本隆明「情況への発言」全集成3が届いたので、そちらにちょっと浮気。

「試行」は欠かさず札幌のアテネ書房で買っていたので、その都度「情況への発言」は読んでいたのだが、まとめ読みするとまたこれが面白い。

三浦つとむへのオマージュに引き込まれ、思わず書棚の奥から「文学・哲学・言語」やら「認識と言語の理論」やらを取り出して拾い読み。

かくしてワタクシの読書は、限りなく拡散してゆく・・・
昨日から、三浦雅士「漱石 母に愛されなかった子」(岩波新書)を読んでいる。サクサク読めそうだ。文体が面白い。

感想は後日

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