プレートテクトニクスの拒絶と受容 泊次郎 東京大学出版会

知人の持っていた本を拝借して拾い読み。
私、特に地学に関心があるというわけではありません。
ただ風のウワサというか耳学問で、私などがガキの自分に習ったナントカ火山帯という知見はもう古くて、今はプレート理論に基づく地質学が常識、とは聞いていた。

なぜ日本においてプレート理論の受容が遅れたのか。
そこには、戦後思想や冷戦構造に深く関わる政治的な問題が潜んでいましたとさ、というお話。面白いけど、ぞっとします。

先日「東京人」のバックナンバーを整理していたら、「東京から消えたもの」という特集号を見つけ、耽読。

「東京から消えたものを挙げてください」という問いに対する著名人の回答で一番傑作だったのは、「やる気のない食堂」。

ああ、確かに言えますね。

①店に入ると、オヤジが客席に座ってテレビを見ている。
②テーブルに油で汚れたスポーツ新聞が放置されている。
③ラーメンはメニューにあるが、それはただ単に「ラーメン」である。(概ね醤油)
④厨房に仏頂面のオカミさんが立っている。
⑤調理しながらくしゃみをする。

こういった食堂は、全国的にも絶滅危惧種じゃないでしょうか。
最近は田舎でも妙に気合の入った食い物屋が多くて、それはそれで結構なことですが、たまに脱力系の食堂に入りたくなります。






わかるわかる

2008年10月3日 読書
内田樹×春日武彦 健全な肉体に狂気は宿る 角川oneテーマ21

内田:あのね、俳人とか歌人に多いのは、ループタイですね。(略)あと、郷土史家の人も(笑)

うわー、わかるわかる。これは当たってるぞ。

先週の週末は半袖でも汗ばむくらいだったのに、昨日からは長袖シャツの上にセーターを着込むような気温です。一挙に秋が来ました。

只今この部屋の温度は21.1℃
そろそろストーブが必要かなあ。灯油高いんですけど。

ユニークな書名

2008年9月23日 読書
わたしは花火師です M・フーコー 筑摩学芸文庫

フーコーの「語り」を集めた1冊。
インタビュアーがフーコーに、
「あなたは歴史家ですか」「あなたは哲学者ですか」と問う。
フーコーの答えは「違います」
「では、どうお呼びすればいいのですか」
「わたしは、いわば花火師です」

いいなあ。
たまやー。

最暗黒の東京

2008年9月21日 読書
松原岩五郎 最暗黒の東京 岩波文庫

明治20年代に刊行されたルポルタージュ。
「小説神髄」が出て、すぐにこんな記録文学が書かれてたんですね。
面白い。
暫く日記を休んでいたら、リニューアルしたようです。どこがどう変わったのか、まだよく分かりませんが・・・

この2週間くらいの間に、10冊くらい雑誌らや新書やらを読み散らす。丸山眞男「日本の思想」の読書会をやっていて、レジュメ作成係を仰せつかったので、あっちの本を捲り、こっちの本を斜め読みし、という感じです。

で、気分転換に読んだムック誌「荷風!」の向島や人形町の特集が一番面白かったりします。私の町では、もう昭和30年代の風景など一掃されてしまいました。東京のようなケタ違いの大都市の方が、むしろ古い建物などが残っているようです。

ワタクシは、建物自体にはあまり興味はありません。でも、そこで生起したであろう「コト」には大変興味があります。「モノ」が残っていると、「コト」を伝えてくれるので、そこは古い街並みのありがたいところです。

多忙な1週間

2008年8月29日 読書
お盆が終ったと思ったら、一挙に多忙。
ろくに本も読めない1週間でした。
それでもなんとか、佐藤卓己「八月十五日の神話」は読了。
大変勉強になりましたが、もう少し文章と構成が上手ければ面白く読めたのに。ぶつぶつ・・・

疑問形で終る文章、「・・・ではないだろうか」「・・・ではあるまいか」が少し多いように思いました。
オリンピックって、少し長すぎませんか。
いえいえ、人様が一所懸命やってることにケチをつける気は、毛頭ありません。

てなわけで、家人の熱狂を余所に私はひたすら音楽三昧の休日。昨日は、知り合いがメンバーになっているアマチュアバンドのライブを見物。K君、もう少し練習しなさい。テンポずれてたぞ。

今日は、手持ちのCDをせっせとMP3に変換。デジタル音は確かにクリアですね。でも、クラシックとか聴くと、チューニングがぴったり合った楽器がかもし出す、あのなんともいえない共鳴が聞き取れないのは、いや多分私の耳のせいでしょう。

購入本2冊

2008年8月22日 読書
アマゾンから本が届く。

佐藤卓己「八月十五日の神話」ちくま新書
佐藤卓己・孫安石編「東アジアの終戦記念日」ちくま新書

佐藤卓己の著作を読むのは初めてです。
降伏文書に調印した9月2日ではなく、8月15日が「終戦記念日」になっているのはなぜか。

著者は、そこにメディアによって作られた「物語」をみているらしい。

まずは読んでみましょう。
K.マルクス「ユダヤ人問題によせて」(岩波文庫)を読む。時速20キロでドライブしているような、鈍行読書だ。内田樹の「私家版・ユダヤ文化論」もあわせてパラパラ捲る。なんか、幸福である。

とりあえず、読んでいても眠くはならない。理解できているかは心もとないが、大マルクスの文章にワタクシの愚能が駄々を捏ねていないことは確からしい。
大阪の友人から、「遊びに来いよー」と連絡がある。
この友人は、お愛想ではなく本気で誘ってるから、全く困ってしまう。ただでさえ放浪癖があるのに、そんな誘いを受けたら、たちまち道頓堀川に映る灯が恋しくなるではないか。

20代の頃は、休みを工面しては東京だの大阪だのに出かけた。スリッパ履きに荷物はゼロ、ポケットに両手を突っ込んで汽車に乗り込んだ。

さすがに今は年相応の格好を致しますが、なにせ放浪癖というか、「ここより他の場所」への憧憬は未だ止まない。仕事で隣町に出かけるだけで、ワクワクしてしまう。一泊出張などがあった日には、嬉しくて一週間前から落ち着かない。

そういうワタクシに「大阪に遊びに来い」と誘う友人は、全く困った奴である。
金も暇もないワタクシの、悶々とした日々が続く。

その道のツウ

2008年8月18日 日常
分からないことは、なんでも詳しい人に聞けばいい、とは限らないというお話。

先週、ウォークマンを物色に電器屋さんに行って、驚いた。なんと、ウォークマンがカードやスティックになっているではないか。いや、笑わないでほしい。私は、ウォークマンといえばCDを入れてチャカチャカ回転させるものとばかり思い込んでいたのです(汗)。

これではいかんとパンフレットを貰い、ネットでもいろいろ調べてみたが、イマイチ使い勝手が分からない。こういうときは職場のT君が頼りだ。そこで今日の昼休みにT君を捕獲して聞いてみたのが大失敗。

え、ウォークマンっすか。IPodの方がいいですよ、から始まり、休み時間が終るまで、なんとかちゅーんがどうしたとか、カーオーディオに繋ぐにはこうするとか、自分の器械には2万曲入っているとか(ホントに全部聴くのか、それ)、はい、しゃべりまくられました。おいおい、オレはつい先週までウォークマンは円盤を回すものと思い込んでいたマヌケ野郎なんだぜ、T君。

結局どっちがオススメなの、と聞くと、まあ使い方次第ですねって、そりゃあそうだけどさ。

何の参考にもなりませんでした。
教訓その1 何でもその道のツウに聞けばいいというものでは、ありません。

夏の終わり

2008年8月17日 日常
北国の短い夏の終わりを告げる記号。

墓参
遠くから聞こえる盆踊りの音
三角波が立ち始めた海
線香花火
赤とんぼ

私の街には残暑がない。一挙に秋です。

本日の購入本

2008年8月15日 読書
ジャーナリズム崩壊 上杉隆 幻冬舎新書
ユダヤ人問題によせて 他 K.マルクス 岩波文庫
現代思想総特集 吉本隆明 

私の本棚の片隅には、大月書店版『資本論』5巻が、世を忍ぶようにひっそりと収まっている。
購入したのはもう30年も前の話だ。最初すぐ手の届くところにあった同書は、書棚整理のたびに私の側から離れ、今では踏み台を使わなければ手の届かない位置に遠ざかってしまった。

かの本を何度手に取ったことか。そのたびに、まあ、あの小説を先に読んでから、ということの繰り返しで、今に至っている。
ちくちくとささる棘のように、気にはなっているんですけどね。

そんなわけで、大著に挑むきっかけになればと思い、「ユダヤ人問題によせて」を買ってきた次第。本当は「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」が読みたかったんだけど、手に入りませんでした。

で、まずは先にこいつを読もうということで、阿部和重「インディビジュアル・プロジェクション」を読んでます。

岡林登場

2008年8月10日 TV
TVはオリンピック一色だが、実は数日前から愉しみにしていた番組があって、反町ジャパンどころの騒ぎではなかった。

BSのフォーク特集に、岡林信康が登場するというのである。それも会場はNHKホールというのだから、これはびっくり。

録画をしっかりセットして、夜7時からTVにかじりついていたら、もう9時半にもなろうとするころ、岡林が登場。「山谷ブルース」など4曲を唄ってくれました。

私が岡林を見たのは、1971年7月の日比谷野音が最後だから、TVではあれその姿を見るのは、実に30数年ぶりということになる。すっかり油が抜けたと言うか、出世競争からリタイアして田舎の支店で部長をしている元重役候補、みたいないい感じでした。

フィナーレは出演者が舞台に勢ぞろいして「あの素晴しい愛を・・・」を唄うという、おなじみの光景だったが、(当然?)そこに岡林の姿は無し。
多分加川良と二人でフケたのでありましょう(笑)
内田樹「こんな日本でよかったね」(略して「こんたね」)読了。
今更ながらに、ウチダ先生は構造主義者だったんだなあと、妙に納得する。

冒頭の言語論も面白かったが、ウチダ先生の面目が活き活きと踊るのは格差論、少子化論、フェミニズム論あたりだろうか。ワタクシ的には、政治運動についての文章が強く印象に残った。

ウチダ先生によれば、政治運動というのはその殆どの期間が退潮期なのであって、それを最後まで看取る人(先生言うところの「雪かき仕事」ですか)がいることが肝心なのだという。なるほど。これは政治運動だけではなく、様々な組織活動、運動についてもいえることだと思う。

私もかつていくつかの文化活動にかかわった経験がある。たとえばその活動期間が10年間であったとする。実際のところ最も盛り上がるのは2〜3年目あたりで、あとはひたすら右肩下がり、シャッター通りの中で細々と商売しているタバコ屋みたいに、閉店のタイミングを窺い続けるような有様になるのが常である。

私の場合、特に高潔な義務感に駆られたというのではなく、単に逃げ遅れたために組織体や運動体の沈没に立ち会う羽目に陥ったことが、何回かある。

ひどいものである。活動の最盛期には50人を数えたメンバーがぱらぱらと抜け落ちて行き、気がつくとガラガラ。2リットルのペットボトル一本あれば、メンバー全員にお茶が行き渡るような惨状に至る。その過程で、ケンカはあるわ約束破りは横行するわ、金のトラブルは起こるわで、もうへとへと。何のためにこんなことを続けているのかと、自問はするのだが何故か止められない。まあ10年間は続けましょうよ、などという話に大概はなって、最後の3年くらいは感動も喜びも無く、ただただ消耗するばかり。

ウチダ先生の決まり文句を借りるならば、「そういうものである」。

でも、沈没船に居残っているとひとつだけよいことがある。それは、「仲間ができる」ということだ。最後まで残った十指に足りない連中こそ、「本当に信頼するに足る仲間」であって、そういう仲間を10人持つと言うことは、実際、得がたいことである。

「同志」などという言葉は、今の時代流行らないかもしれない。でもタバーリッシ、うーむ、なかなか捨てがたいものですよ。

内田本読書中

2008年8月5日 読書
内田樹「こんな日本でよかったね」をたらたらと購読中。
感想は読後に。

購入本

2008年8月1日 読書
なにかと気ぜわしい日々が続いています。
お盆あたりまで、忙しいわけではないのになんか落ち着かない、という日常になりそうです。

さて、本日アマゾンで注文していた本が到着。
内田樹  こんな日本でよかったね
吉本隆明の声と言葉(CD付き)
東京2時間ウオーキング 銀座・日本橋編

かつて東京の場末で暮らしていた頃、銀座や日本橋は全く縁のない街だった。銀座は単に地下鉄の乗換駅だったし、日本橋と東京駅の位置関係すら知らなかった。

最近は年を喰ってきたせいか、東京に行くたびにこの二つの街を歩く。お気に入りなのである。
そのかわり、今をときめく六本木とか赤坂にはまず行くことがない。

銀座はもちろん私には全く縁のない店が多いが、でも1000円で老舗の天丼が食えたり、コロッケパンの美味しい店があったり、意外に庶民的な面がある。
日本橋も結構和む街だ。私は酒が飲めないので、東京に行くと晩メシの適当な店がなくて困ったりする。そんなときは、高島屋とか三越の地下にもぐって、木村屋の食パンと今半のメンチカツとたいめいけんのコールスローを買い、ホテルでサンドイッチにして食う。1000円でお釣りがくる。吉牛よりは美味いと思う。

そんなわけで、内田・吉本のお気に入りと一緒に、銀座・日本橋本を買ったのでありました。

牛の歩み

2008年7月29日 読書
丸山眞男『日本の思想』(岩波新書)?「近代日本の思想と文学」を読んでいるが、遅々として進まず。勘弁してください、と言う感じです。

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